Share on FacebookTweet about this on Twitter

GLM 技術本部 第三開発部 デザイン室 石丸竜平
(いしまるりゅうへい)
1988年生まれ、福岡県出身、九州大学芸術工学部を経てIED(イタリア)卒
2016年6月 GLM入社


精悍で端整な顔立ちだ。クリッとした目の眼光は鋭い。射貫かれる感じがする。

国内の大学を卒業すると渡欧。カーデザイナーを志す世界中の若者が目指す、イタリアのデザイン専門学校(カーデザイン学科)に入学。首席で卒業し、同国の名門「FCA(フィアット・クライスラー・オートモービルズ)」に誘われる。そこで「フィアット」「マセラティ」のカーデザイナーの一員として、車の線を走らせた。

そんな異色で華々しい経歴の彼は、若干28歳(2017.2時点)。
豊かな才能を感じさせるのは、学生時代「死ぬかと思った」と話す、努力に裏付けされた自信からに違いない。

(筆者:ライター タケ・バスコダ)

最近、私(筆者)の耳には、ある年配の自動車ジャーナリストの嘆きが引っかかっている。「カッコいい車が道端に停まってても、日本の若者は誰も振り向かない。写真を撮るのはみんな、海外の人ばかり。いったい、どうなってんだ…」。街を見ると、まさにその通りだ。若者ではないが、私も振り向かない一人。

カッコいいデザインの車がないのか、自分の感性が鈍ってきたのか、後者だったらと思うと耳が痛いから、そんな言葉が引っかかる。

オッサン筆者の私はおそらく後者だろうが、淡い期待を寄せる未来がある。石丸さんがデザインした車に、心奪われ、ドキドキ、ワクワクする未来だ。これからのGLMのデザインの、全権を担う彼の責任は、いたって重い。その事を伝えると彼はこう言い、くすっと笑った。「もちろん恐怖ですよ。描いた線全てが自分の責任ですから。誰にも頼れません。自分がイケてると思わんと、やっとれんですよ」。

力強く、さらっと返す、そんな彼を見ていると、なんとなく、最後までやり切ってくれるような気がする。なぜならそれに立ち向かう気概とやる気とともに、立ちはだかる壁の高さを等身大に当てはめて、冷静に見ているように思えるからだ。
彼が大学在学中、イタリアへ留学した際、憧れていたフェラーリについて「フェラーリも、そう遠くはないな」、そう感じたそうだ。まさにそんな目線で、今やろうとしていることを見ているように思えてならないのだ。

GLMには、何のしがらみも、何のルールも、何の制約もない。ゼロから一人で車の線を引くなんて、誰もやったことがないから、恐怖なのだと思う。でも、それをできるのは彼しかいない。だから彼が、GLMにやってきたのだと思う。

「フェラーリも、そう高い壁でない」

―イタリアの名門「フィアット」を経験されています

「九州大学の在学中に、ミラノ工科大学に1年間、交換留学生として行く機会を得て。その時に『フェラーリも、自分が考えていたほどは遠くないな』と感じたのがきっかけで、イタリアを目指すことにしたんです」

―当時、石丸さんの中で、そのフェラーリとはどういう存在だったのでしょうか?

「叔父たちの影響もあって、フェラーリやランボルギーニといったスーパーカーやF1が好きで、憧れもあって。カーデザイナーを夢見るようになってからは、フェラーリを最終目標として考えるようになってたんです」

「で、実際に留学してみると、意外と近いところにあるな、と感じて。どうせなら最初からフェラーリを目指してみるのもありかなと。もちろんその当時、まだまだ実力は足りていませんでしたよ。けれども、自分が作り上げていたフェラーリというハードルは、頑張れば届くところにあるように思えたんですね」

―九州大学卒業後、まずはイタリアのデザイン専門学校に入学されます

「留学時代に、トリノは車の街で、IED(イタリアで歴史あるデザイン専門学校)のトリノ校にはカーデザイン学科があって、なおかつイタリアのカーデザインで最も有名な学校、と聞いたんです。世界中からカーデザイナー志望が集まるとも聞いてました。実際にクラスの半分が外国人でした」

死ぬほどの努力、首席での卒業

―イタリアの学校生活はどうでしたか?

「死ぬかと思った、が感想です(笑)」
「毎週、大手自動車メーカーなどから車のデザイナーが講師としてやってきて、授業をしてくれる。例えばフリーハンドのスケッチの授業だと、『来週までにA3用紙30枚を書いてこい』と言われる。各授業がそんな調子なんで、毎週A3用紙に100枚書かないといけない」

―その課題をこなされた?

「日本人なんで、生真面目で、、、。クラスメートが100%こなしてないなか、自分は土日も彼女の誕生日も、朝から晩まで描きっぱなしで、友達からは『大丈夫か?』と心配されて、ホント死ぬかと思いました」
「でも、真面目に100%こなせば、実力はついてくるんですね。首席で卒業できたのが、唯一の救いです」

FCAへ、シティカーからGTカーまで幅広く経験

―首席で卒業されて、フィアットへ、なぜ同社でしたか?

「在学中にアルファロメオのプロジェクトをやってて。そこで担当者が自分を見込んでくれて、『インターン面接に来ないか』と誘ってくれたのが、きっかけ」
「FCAは乗用車から、ジープから、スーパーカーまで、とにかくたくさんの車をつくっているから、面白そうだなと」

―実際に入ってみてどうでしたか?

「一貫して外装デザインを担当しましたが、幸か不幸か、たくさんの部署に関わらせてくれた。まずフィアットで、次にフィアットプロフェッショナル(フィアットの中でも商用車を手掛ける部門)、そしてマセラティ。車の一部分だけど、シティカーからGTカーまでを経験させてもらえたのは面白かった」

マセラティのデザイナーといえば聞こえは良いですよ、でも…

―幸か不幸かというのは?

「楽しいんですが、、、向こうのインターンって、普通の社員と同様に働くんですね。なんで、いろんなことが見えすぎて、、、10年先が見えなくなって」

―といいますと?

「マセラティのデザイナーというと、聞こえは良いですけど、絵を描くイチ会社員に過ぎないんです。朝定時に会社にきて、夜定時に帰る。学生時代に絵を描きまくっていて頭がおかしくなってたせいか(笑)、そんな環境が自分にとって、理想的ではなくて。仕事より描くことをもっとしたくて」

「車の絵を描くより、車をつくる仕事がしたい」 GLMへ

―ほかにも理由はあります?

「車の絵を描くこともやりたいけど、それよりも、車をつくる仕事がしたくて」
「大手だと、エンジニアとデザインのチームの間に、マネジャーらがいて、現場(エンジニア)との距離がかなり離れてるんです。なんで、絵は描くし、車をつくっている感覚もあるんですけど、エンジニアと一体になって車づくりをしている感覚は希薄で、そんなところも少し違うなと。GLMにきてなおさらそれは感じる」

―で、なぜ、GLMに?

「そんなことも考えるようになってたちょうどその頃、インターン開始から8ヶ月程経って、採用へ移行する時期でした。で、その時期にFCAから『2ヶ月待ってくれ』と言われたんです。採用されるか採用されないか、分からんのなら、GLMに行こう、そう割と軽く決めました」

GLMで働くということ

―GLMを元々ご存じだったということですか?

「フィアットにインターンとして入る前に一度、帰国したんですが、その時に知人を通じて、小間社長と会ってました」

―その時、どう思いましたか?

「日本にこんな会社があるのかって、正直驚きました」
「と同時に、とにかく面白そうだな、と。イタリアでキャリアを積むだけが、面白いことでもないのかな、と漠然と思うようになってて。そんなこともあったんで、フィアットが『2ヶ月待って』というなら、自分はGLMへ行くよ、と。それだけ」

―GLMに入社することに不安はありませんでしたか?

「結婚もしてないし、年齢もまだまだ若いんで、ベンチャーは不安で大手は安心といった、そんな物差しが自分の中にはないから。とにかく楽しいことだけを、と今はまだ、考えているので」

―楽しんでますか?

「それは楽しいですよ」
「技術本部では最年少ですけど、全くやりづらさはないし。みんな、知らないことに対してとてもフラットで、先輩でも誰でも、自分に『これってどう?』と聞いてくる。いい意味で、半分、クラブ活動のような雰囲気」

―でも恐怖もあると

「それはそう。フィアットだと周囲はみんなデザイナーで、自分の絵に対していろんな評価を聞けたけど、GLMでは誰にも聞けない。正解は自分のみぞ知る、そんな世界。デザインが失敗したら、『石丸がクソ』というだけ」

―それ、大変すぎませんか?

「いや、GLMはみんなそう。みんな、持ち場があって、任されて、責任をもって、そこで戦っている。自分も同じことをやっている。ただそれだけ。だから、楽しい」

―みんなが、プロフェッショナルの集団だと?

「そうですけど、そうでもない(笑)。新たな世界を生み出そうとしていることに対して、傍から見るとカッコいいかもしれんですが、もっと泥臭い感じで、汗と涙で車づくりをしてる(笑)。そんな感じ。でもそこがまたイイ」

―将来の夢は何でしょうか?

「車をデザインするという点では、夢はかなっている。でも、トミーカイラZZもG4も、(まだ入社したばかりで)自分がデザインしたわけではない。自分が描いた車で乗る人も会社もハッピーになってる、それが夢かな」

取材を終えて・・・

石丸さんは、努力で支えられた自信(というか芯)のある人という印象を受けます。
もともと叔父の影響で車に慣れ親しんだ石丸さん、高校時代、こう先生に宣言したそうです。
「夢を見つけた。カーデザイナーになる」と。
でも先生からは「馬鹿かお前は、なれるか」と一蹴されたそうです(笑)。勉強なんて、してきませんでしたから(本人談)。

カーデザインの道が拓ける九州大学を目指すも、先生の指摘通り、模試の判定は「F判定」。
けれども、ここからが、石丸さん。「口だけでは終われん」と、夏から改心し、火が付きます。
寝る時間(0:00~5:00)以外はご飯とお風呂の約3時間を除いて、猛勉強したそうです。6カ月間、1日16~17時間、「死ぬんじゃないか」と思うほど勉強に打ち込み、6番という好成績で入学を果たしたんだそうです。

そのまま、その後の専門学校(イタリア)時代につながっていきます。

今も車の線を走らせ続けている石丸さん。
描きに描いた数万枚のスケッチの中から1台が生まれ、彼の車が、世界中を、颯爽と、走る。街行く人は振り返り、私も思わず、驚きの声を出す、「今のは???」
そんな、遠くないであろう日を、わたしは今から、楽しみに待つのです。

四つ葉経済記者会 ライター タケ・バスコダ

Share on FacebookTweet about this on Twitter