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日産自動車㈱でスカイラインのアッパーボディの設計を担当
トヨタ自動車㈱ではレクサスのプラットフォームの開発責任者に抜擢、も…
「失敗する車づくりがしたい」とGLMへ

GLM 技術本部長 藤墳裕次
(ふじつかゆうじ)
1972年生まれ、大阪府出身、関西大学工学部卒
2011年4月 GLM入社


ソニーの井深大氏と盛田昭夫氏、ホンダの本田宗一郎氏と藤沢武夫氏。
“ジャパン・アズ・ナンバーワン”、そんな時代をつくった、 今なお輝く企業の中には、傑出した二人三脚で時代を切り拓いた会社がある。

GLMという会社が、数十年後、多くの人に語られるとき、社長の小間と技術の藤墳の両輪なくして語られることが、あるだろうか。

2010年10月10日午前0時。当時トヨタにいた藤墳はGLMに一通のメールを送る。

「そちらで働きたい」。

彼の右人差し指がマウスをクリックしたその瞬間から、GLMはうねりをあげて加速することになる。

(筆者:ライター タケ・バスコダ)

「背の高い、サラサラヘアーのオッサンです」

筆者が藤墳さんにインタビューをお願いし、都内のカフェで待ち合わせることになったとき。藤墳さんから私に届いたメールが「黒いフリースを着ている、背の高い、髪の毛サラサラのオッサンです」だった。初対面のため、私が店に入るなり一目でわかるように、そうご自身を表現されたのだ。

大手企業を渡り歩き、トヨタの設計課長まで務めた方と聞いて、ちょっとした堅物をイメージしていた。けれども本人は、いたって明るく、優しい、関西弁のオッサン。とても自然体なんだけれども、周囲が兄貴分として慕うのが分かる、そんなカッコいいオッサンでした。

―これまでの経歴を教えてください

「漫画の『バリバリ伝説』に憧れて、バイクづくりがしたかったんです。けれど就職の時は縁がなくて、日産へ行きました」

―日産には5年在籍されています

「FR(後輪駆動)スポーツカーの車体設計(アッパーボディ設計)として、スカイラインやシルビア、フェアレディZを担当しました。スカイライン時代には水野(和敏)さんに、相当しごかれましたよ(笑)」

―川崎重工へ、4年間在籍してアメリカンバイクの設計をされます

「日産時代はとても充実していて、楽しかったんですが、バイク開発の夢が捨てきれず…」 「ちょうど会社(川崎重工)が世界最大のバイク(バルカン2000)をつくろうという時。完成したバイクでアメリカ大陸を横断するなど、楽しかった。けれど、やり切った感があったのと、4輪の方が技術としては難しいな、とも」

―そしてトヨタへ、6年目にはレクサスのボディ設計を指揮されます

「日産である程度経験していたので、トヨタでも同じようにできるかな、と思ってました。けれど鼻っ柱を折られて(笑)」 「とにかく仕事のやり方が違って、図面は全く通らないわで、大変。ハイスタや好きなメロコア聞きながら、朝から晩まで働きっぱなしでした(笑)」 「主任から課長まで、いろんな世界を見ることができたのは、今思うと大きな財産です」

「大手のモノづくりに飽きた」

―「日産」→「川崎重工」→「トヨタ」を経てなぜまた「GLM」に?

「大手のモノづくりに飽きた。モノづくりで失敗をしたかったというのが本音です」 「極端に言うと、車を知らなくても、社内の設計基準や生産技術要件を理解して、社内のローカルルールを把握して、かつ上司の癖をつかめていれば誰でも仕事ができる。そんな環境に、“モノづくりを感じなくなってしまった”のかな」

「モノづくりで失敗をしたかった」

―モノづくりを感じないとは?

「全てが短縮開発日程。納期は絶対。シミュレーションを重ねて、試作レスで車をつくる。失敗は許されないし、一発OKを望まれる環境。いかに効率良くつくるか。そんな環境に飽きたのでしょうか」

「なんか、みんなで上司を見ながら車づくりをしている感じがして。もっと失敗してもいいのではないかと。自分にとっては、お客さんを見てないモノづくりをしている感じがして、自分に嘘をついている気がして。それが残念に思えて。とにかくお客さんのことだけをみて、前向きにチャレンジして、たくさん失敗がしたかったんでしょうね」

―その時はどんな車をつくりたくなっていたんですか?

「効率よく売れる車じゃなくて、ニッチでもいいから、お客さんが求める車を、お客さん目線でつくってみたい。部分的(例えばプラットフォームならそれのみ)ではなくて、ゼロから車づくりをやりたい、そう思ったんです」

「それと、マネジャーになってしまったのもあります。自分で設計が出来なくなって、マネジメントや部下の設計チェックが仕事になってしまった。プレーヤーに戻りたい、という想いもありました」

―GLMでのモノづくりはどうでしたか?

「失敗して、チャンレンジして、少数でもいいからお客さんに喜ばれる車をつくりたい。そんなことが出来るのかなと、“淡い光が見えて”、入社しました。けれど実際は、、、自動車メーカーなのに当初は設計者も誰一人いない、とにかく何もないわで、想像を絶する車づくりをすることになりました(笑)」

GLMの運命を変えた2010年10月10日のメール

そんな藤墳さんは2010年10月10日午前0時、GLMのホームページに記載されていたインフォメール宛に一本のメールを送ります。 「御社で働いてみたい」。そうして半年後の2011年4月に入社します。 実は創業間もないその頃、GLMは事業の大転換を迫られていました。

GLMは当初、ガソリン車のトミーカイラZZからエンジンなどを取り除き、モーターなどに置き換える“コンバージョンEV”を目指していました。実際に、トミーカイラZZのコンバージョンEVの試作車を世に発表します。地元は「幻の名車がEVとして復活」「和製テスラ誕生」と、沸き上がりました。

しかしこの時、社長の小間さんは、「絶望のどん底」に落ちていました。完成した車はゴーカート以下、チョロQのような出来だったのです。コンバージョンEVによる事業展開を諦めざるを得ませんでした。 会社はいよいよ、車づくりをゼロから始めなければならないという、不可能に近い現実を突きつけられます。そんな局面を前に、社長が一縷の望みを託していたのが、藤墳さんからのメールでした。

親の勘当、同僚の猛反発、妻に「3年だけ」と懇願

―入社前に一度、GLMを訪問されています

「想像通り、まだまだ何もできていませんね、という程度。逆に、何のしがらみもなく、ゼロから線を引けると思って。誰もいないなら、じゃあまあ、一人でやるかなと」

―日本一の会社からGLMへ、周囲の反応は?

「同僚の反対はもちろん、親からは『アホか、家族も子供もいるのに、お前なんて二度と家にくんな』と(笑)」

―奥様にはなんと・・・?

「3年だけやらせて欲しいと。3年あればいけるかなと思っていて」

―で、奥様はなんと・・・?

「この人病気だからとあきらめてくれた(笑)」 「でも3年後、『3年経ったけどどうするの?』と、、、しっかり覚えてた(笑)」

―待遇は?

「そりゃもちろん。今は随分と改善したけど、入社当時は、それこそ会社にお金もないですし。毎年、ディズニーランドへ家族旅行に行ってるんですが、泊まるホテルのランクは下がった(笑)。年々、上がってきてますけど(笑)」

試作車の「じゃじゃ馬感」に一筋の光明

藤墳さんの入社後、開発は2軸で進みます。 一つは、コンバージョンEVによるトミーカイラZZ(CV・EV版ZZ)の改良。 もう一つは、始動したばかりの、ゼロからのEVトミーカイラZZ(EV版ZZ)の開発です。

前者(CV・EV版ZZ)は、自動車開発における国内認証の取得ノウハウを得るために継続することにしました。そして2012年10月、まずは、1台の車として公道を走れる国内認証を国交省から取得する、という大きな実績をつくります。

―実際の車の完成度はどうでしたか?

「完成車(=量産車)としてはまだまだ。走行しているだけで、システムの安全性の担保もこれから。つくり方も切った貼った程度」 「でも乗ってみると、じゃじゃ馬感が出ていたのでスポーツEVとしては魅力的。EV版ZZはこのまま開発を続けると、なんとか最後(=量産化)までいけるのではと。そんな感触がありました」

そんな光明を得る前も得た後も、EV版ZZの開発は、とにかく、なにもかも手探り。欲しい部品すら見つからない、見つかってもサプライヤーに相手にされず買えない。なんとか組み立てても、動かない、途中で止まる。とにかく失敗の連続。 そんなことを繰り返し繰り返し行って、開発が大きく前進したのは、2年後の2013年4月。量産モデルの初期デザイン(モック)を発表します。そしていよいよ2014年6月、量産車として国交省の国内認証を取得するという快挙を達成します。気づくと入社してから3年2カ月、奥さんに宣言した“3年”が経っていました。

―先ほど、奥さんはその3年を覚えておられた、とお伺いしましたが

「そう。焦りましたよ。ちゃんと覚えてるんだな、と。もう少し…と頼み込んで、いままでズルズルときてます(笑)」

そうこうして2014年8月には関係者に初号車のサンプル出荷を果たします。そして、さらに改良を重ねること約1年、2015年10月、ついに専用ファクトリー(小阪金属工業)での量産化へと漕ぎつけたのです。

夢は“素うどん”のような車の開発

―今の仕事をお伺いする前に、GLMでの夢ってあるのでしょうか?

「“素うどん”のような車を開発することかな」 「アリエル(英アリエル・モーター・カンパニー)の『アトム』みたいな軽量スポーツカーをみんなでつくって、みんなとドライブに行きたい」

―できますか?

「うちの技術者は、良い意味で、変態が多いですからね。濃い設計者が集まって、一緒に仕事ができている。このメンバーならできると思いますよ」

―今、新たな技術者が、GLMにどんどん入社されています

「失敗すればするほど身に付く。だから極力、担当者の裁量に任せています。どんなことも基本OKを出し、自分で考えて判断して動いてもらう。その環境作りを意識するし、意識させる。それで失敗したら、ケツはなるべく拭く(つもり)(笑)」

―どんなメンバー(技術者)が集まっていますか

「とにかく頑張り屋が多いです。皆譲れないものを持っている技術者ばかりで、そんなところが好きです」

―藤墳さん自身は、どんな思いで仕事をされているのでしょうか?

「仮に会社が潰れても、取引先に『うちにおいで』と声をかけてもらえるように全力で仕事をしてます(笑)」

次世代EVスーパーカーの開発は「100倍難しい」

―仕事のされ方は冗談でしょうが(笑)

―最後に、夢の手前にある次世代EVスーパーカーの開発について教えてください

「それはもう、ZZの100倍以上も難しいことをやろうとしている」

「正直、ZZは世にある物を活用して完成させたもの、けれども次の車は自分たちの欲求を突き詰めています。それを実現する“あり物”はこの世にはなくて、全てが未知の領域。誰もやったことがないことにチャレンジしています」

―車はできますか?

「今のメンバーならね」

取材を終えて・・・

ざっくばらんで、飾らない。「さらさらヘアーのオッサンです」、そんな気さくなメールそのままの人です。
ある夜、ご一緒した酒席で「飾らない女性が好き」とおっしゃっていました。「素うどんのような車をつくりたい」、そんな藤墳さんの夢が、胸にストンと落ちたのでした。

四つ葉経済記者会
ライター タケ・バスコダ

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